谷口銀山の最盛期は寛永から慶安の頃(1624~1652)で、坑道が66あって、当時金堀居小屋3千件、9つの寺、傾城町70件もあったと伝えられている。
この銀を運ぶのに32貫ずつ7頭の牛に引かせ7ケ月間1日も休むことなく新庄に運ばれてという。
閉山となったのは弘化3年(1846)であるというが、今は吉次山の麓にズリ山1千軒、酒田小手町大手町の地名が残り、杉林や水田となり、大切鋪(坑道)の上には帯乃野、大手町、寺町、十分一などの地名が残っている。
保存会は、谷口地域内の歴史的文化遺産の調査、復元、保存をなし、次期世代への継承を目的に昭和59年7月に結成されたものである。
撮影年 | 2008年 |
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著作 | 山形県 |
制作 | (財)山形県生涯学習文化財団 |
時間 | 5分38秒 |
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