一つの大ダイコを中心に、二つのシメダイコが置かれ、二人の打ち手が両側にすわって打ち分けます。そのほか、笛、チャンギリ、三味線もはいり、カケ声役も大勢つきます。
<曲目>(曲目は三つあります)
(1)道バヤシ(タイコだけのものです)
(2)大兎バヤシ(ハヤシに合わせて、大きな白兎に扮した少年が跳ねます。)
(3)小兎バヤシ(名のように小さな兎が跳ねます。)
ウサギ ウサギ 何をみてはねる
十五夜お月さま 見てはねる
東根市関山の西原につたわる、祭りバヤシです。西原は、JR東根駅から東南へ九.五km、山形盆地と仙台市を結ぶ重要な国道四十八号線、関山街道沿いにあります。関山峠まで約八km、五十八戸ほどの山あいの集落です。
<由来と特色>
ぞくに「ハヤシザ」とよばれてきましたが、ハヤシザというのは、もとはハヤシ屋台のことでした。それがハヤシそのものをも指すようになりました。
ひと昔まえまでは、村山地方のお祭りには付き物のなつかしい存在でした。それなのに、いつしか屋台が姿を消し、同時にハヤシもあらかた絶えてしまいました。
関山でも、まず屋台がなくなり、ハヤシも忘れられてきましたが、危ういところで復興され、現在に至っています。
このハヤシの起こりは、明治の末ごろのようです。荷馬車ひきをしていた清野吉兵衛、佐藤源四郎、小野政志の三人が、寒河江の祭りで心を湧き立たせるようなハヤシを聞いてすっかり感動し、自分達の村にも欲しくなりました。そこで、村の若者たちに熱心にすすめ清野利一、小野虎作、片桐庄六、清野繁樹、の四人にタコ、チャンギリ、三味線を習わせました。師匠は、観音寺の大門に住む松浦こうという芸人で、そこへ二冬も通わせたといいます。そして、三人は大泉万五郎という笛の達人から指導を受け、七人が力を合わせてまとめ上げたのが、「関山バヤシ」。
こうして、努力が実を結び、山あいの村に明るい「ふるさとオーケストラ」が誕生したわけです。
山形県の祭りバヤシには、京都の祇園バヤシ系のものと、江戸バヤシ系のものとがありますが、関山のは後者に近いようです。
それから、月山の精を思わせるような白兎の跳躍がつくのも、なつかしいものです。
戦後は、しばらく鳴りをひそめていましたが、昭和四十四年に復興され、保存会ができたのは喜ばしいことです。
撮影年 | 2007年 |
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著作 | 山形県 |
制作 | (財)山形県生涯学習文化財団 |
時間 | 3分47秒 |
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